いっつも、こうなんや

またや。

いっつも こうなんや。
おかあさんは。

なにかをやろうとすると
こうしてブレーキをかけるんや。

ことのいきさつは こうだ。

その日は 風もなく、いいお天気。
実家に行き、母の用事を済ませて
「じゃあ、今からつくしを摘みに行ってくるね」
と言うと、母が一言。

「おそいわ。」

へっ?

「そんなもの、とっくにないわ。
○○さんが言うてたわ。
今年はあたたかいからもっと早くに生えてたって。
昨日も土手に行ったけど
なあんにもなかったって いうてたわ
みぃんな とっくに摘んでしもてるやろ
今ごろ行っても もうあらへんて」

「…でも、先週、知ってる人が
1週間後にはたくさん生えてるやろ
って言ってたし、  行ってみるわ」

「ふん、2番手が生えてるの 摘みに行ってき」
(どうせ、ないだろうけど)

ない。って親切に言ってるのに
ほんまに言うことを聞かへんなぁ。あんたは。

と、言われてる気がして
気持ちがずずずっと しずむ。

どうして、
「ないって聞いたけど、まだ残ってるかも。
たくさん見つかったらいいね」って
言ってくれないんだろ。

いっつも、
「何かする。」って
母に言うと、
「あんたには できひん」
「やめとき」「あかん」
または過剰な心配をされて
そういわれたり、心配されることが嫌で
はじめから諦めたり やらない。を選ぶ
わたしだった。

どうする?帰る?

いや、行こう。

毎年摘んでいる土手に行ってみると、
たしかに、
時、遅し、か。

すぎながたくさん伸びてて
つくしは、

つくしは、

 

 

 

あるやん!

 

 

 

あそこにも!

 

 

 

ほら、こっちにも。

 

 

そこ、そこっ!

袋にいっぱい摘んだ。

やっぱり、
人の言うこと 真に受けるんじゃなくって
自分で行ってみて、確かめないと。ねっ(^^♪

つくしなんか ない って決まってるでしょ。
と思ってる母に見せるため、
実家に戻る。

 

 

「おかあさん、ほらっ!あったで」

「えーっ。これはまた、
たくさんあったんやなぁ」

「○○さんは昨日見に行ってきたいうてたけどなぁ?」
と、○○さんから聞いた話を
また はじめから繰り返す母の話を聞いていて

はた!と、気がついた。

母とわたしとは
言葉のとらえ方がまるで違う。
素質論でいうところの FXとFLだ。

母は 聞いたことを ただ言ってるだけ。

その言葉に、
母はこう思ってるんだろう。
と、イメージを勝手に膨らませて
想像して、感じて、
受け取っているのは
わたし。

あ、これって、
わたしの受けとめかたの問題だわ。

その証拠に
めんどくさい はかま取りを
一緒に手伝ってくれている。

 

わたしの受けとめかたのくせ、
かえてみたら

心地よい
春の風が 吹いてきた。

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